『自分は精神科の医師です。自分は精一杯、患者さんに寄りそって、尽くしているつもりでも、自分はホームドクターを持たず、スーパーバイザーを持たず…ひたすら耐えつづけることに、少し疲れました。私の話をとことん、話が尽きるほど、寄りそって聞いてもらうことが私の願いです。』
とことん話を聞いてもらいたい…。この願いを叶えるため、CaNoWチームに力を貸してくれたのは、被災地や病院で助けを求める人々の声に寄りそう『臨床宗教師』という存在でした。
▼臨床宗教師とは
臨床宗教師とは、被災地や病院などで心のケアを担当する宗教者のこと。
最近ではテレビドラマ『病室で念仏を唱えないでください』のモチーフとなるなど、注目を集めています。
今回、力を貸してくださったのは、普賢寺副住職であり、徳山中央病院(山口県周南市)の緩和ケア病棟で臨床宗教師として活動する桝野統胤(ますの とういん)さんです。

舞台は、瀬戸内海を望む静かなホテル。
「はじめまして、今日はよろしくお願いします。」と言葉をかわすと、すぐに打ちとけお話がはずみます。
にこやかな笑顔ではあるものの、お話をつづけるYさんは、なんとなく“かっこいい女性”のまま。「医師」としてのお仕事モードを感じさせます。
けれど、Yさんの願いは、『医師でも母でもない、一人の人間として、とことん話を聞いてもらうこと』のはず…。
このままでいいのかしら?とゆくえを見まもっていたCaNoWチームですが、包みこむような桝野さんの受け答えのおかげか、Yさんの様子が少しずつ変化してきました。


私が医師になったのは、人の役に立ちたいという思いがあったからです。

現在もたくさんの患者さんに接していますが、たとえ同じ病気でも、みなさんそれぞれ違うんですよね。
今までどんな人生を歩んできたか、どんな生き方をしてきたかに関係するのでしょう。そんな患者さんたちにどう向き合うのか、やはり自分の生き方が映し出されるされるように思います。

患者さんの病気がよくなる瞬間を見ていると「あれ?どうしてよくなったのだろう?」と理由がわからないことがよくあります。

理由はわからないけれど、良くなる。今日の天気のように、サッと晴れていく。何気ない瞬間に、元気になることがよくあるのです。
私が…病気になってから、患者の立場になってからの気持ちも…そうですね。病気と闘って仕事にも復帰ができて、本当にうれしく思っていますし、いつもは医師として、母として気を張っているので、まわりもそんな悩みを抱えているなんて考えもしないと思うのですが…

ふと気を抜いた瞬間、天気のように気持ちが変わりやすくなってしまうこともあるのです。いつもは平気なことも、体調が悪くなると悲しくになってしまうこともあります。

そうですね、やはり生き物というのは自然なものですから、天気と一緒で、思うようにならないこともありますよね。

病気になる前に戻ることはないって、頭ではわかっているのですが、戻りたい、どうやったら戻れるんだろうと考えてしまうこともあります。
職場や家では落ち込んでいる姿を見せたくないので元気にふるまっていますが、ときどきふと…後ろ向きになってしまうこともあります。

治療で苦しかったこと、元気だったころの自分と比べてしまって辛い気持ち、体力的な不安や精神的なもやもや、思うように仕事がしきれない歯がゆさ…
「先生」と患者さんから頼られ、母として家庭を守る日常では、なかなか吐き出すことができなかった思いがあふれ出します。
Yさんの思いを、かみしめながら受け止める枡野さん。
お話を続けるうちに、Yさんの言葉に強さが戻ってきました。

(患者さんのなかにはご病気を乗りこえたYさんに)共感される方もいらっしゃるのでは?

そうですね、患者さんの中には、がんになったことがきっかけで気持ちが不安定になってしまい、精神科に来る方もいらっしゃいます。

がんの辛さを知っている医師からこそ信頼してもらえることもあるかもしれませんね。

じつはときどき、「先生お大事にね」と患者さんから声をかけてもらうことがあるんですよ。医師としてこれじゃダメかしらと思うこともあるのですが、そういう心づかいはありがたいしうれしいですよね。

「お大事に」と患者さんが言える関係というのは、お互いが近しくなった証拠ではないでしょうか。患者さんにとっても医師に頼られるのはうれしいでしょうし、その関係がより良いものになるのでは。

そうですね、患者さんと同じ目線に立てたことで、患者さんにとってもいいことがあるのかなと感じることもあります。


患者さんとお話していても、話がとんとん拍子に進む人もいれば、気持ちや言葉がすれ違ってしまう人もいて。やっぱり相性ってあるんだろうな…と思うのですが、桝野さんはどう思われますか?

そうですね私も「合う・合わない」というのはあるのではないかと思いますね。

もちろん、こちらからの「好き・嫌い」は無いですが、お相手にとって自分は合わないのかなと感じることもありますね。

患者さんも、長年担当してしまうと、相手の反応のパターンが見えすぎて、治療がうまくいかなくなることもあるんじゃないかなと感じることがあります。

長い方だと10年以上お付き合いをすることもありますが、治療が行きづまってくると、そろそろ主治医を変えた方がいいかもしれないですねって、患者さんと話しをすることもあるんです。

私がお付き合いする患者さんは長くても半年くらいですから、そうした経験はまだありませんが、「合う・合わない」で言うと、私には心をひらいて下さらない患者さんも、別の臨床宗教師が出向くといろいろお話して下さることがあります。もちろんの逆も。

そうなんですね。やっぱり合う方を見つけるというのも必要なことなんですかね。

そう考えると、相談相手は精神科医だけでなく臨床宗教師さんがいてくださるというのは医療現場にとってもいいですよね。

私の職場でも、入院患者さんには私だけでなく看護師や他の医療スタッフなどたくさんの人間が関わります。いろんな個性の人がいることが、患者さんにとってもいいのかもしれないですね。

そうですね。相談相手を選べるのは、患者さんにとってもいことだと思っています。

実家に支えられながらも、2児の母として頑張ってきたYさん。
つらい闘病生活、忙しい仕事との両立をはげましてくれたのは、娘さんからもらう手紙や絵のプレゼントだったそうです。

ちょうど娘の誕生日の一週間後くらいに手術があったんですよ。手紙にも「早く帰ってきてほしい」というようなことが書いてあったりして。

絵もね…お姫様みたいな絵もあれば、泣いている絵もあるんですけれど、おそらく本人のそのときの気持ちが表れてているのかな、なんて思うんですよね。

まだ小さな子どもたちにもたくさん負担をかけてしまって申し訳ない気持ちがあります。手のかかる息子に時間をとられてじゅうぶんに娘の気落ちを受け止めきれなかったことも。

けれど…娘の手紙や絵で支えられて、感謝している気持ちがあります。宝物です。

医師でもない、患者でもない、やわらかな愛情に満ちた母の姿がそこにありました。
臨床宗教師 桝野さんとの3時間をこえる対談を終えて…

自分はこれまで、話を聞く・寄りそう側として生きてきて、自分の話をあまりしてこなかったように思います。自分がしたい話をしたいだけする、聞いてもらうという機会が無かったのです。

今日、本当にはじめて、桝野さんにとことん話を聞いてもらうという体験をしました。

たった3時間ですべてが解決することはもちろん無いのですが、自分がこれまでどのようにして病気を乗りこえてきたか、何に悩んできたのか、語りつくせたことで、気持ちが少しスッキリとしました。

どうもありがとうございました。

最後に、Yさんのもうひとつの願いを叶えます。
娘さん、息子さん、そしてご両親へのビデオレターの撮影です。
誕生を待ち望んでいたこと、生まれてきてくれた日の小さなくちびると、あたたかかな手…、保育園や小学校での日々。支えてくれた両親…
感謝の言葉をひとつひとつ、かみしめながら語りかけてくれました。
「私がどうなっても、これが残るんだなぁ」優しい笑みを見せてくれたYさん。
これからも仕事に、家庭にと、お忙しい毎日が待っていることでしょう。
今回の願いを通じて、ほんのつかの間でも、肩の荷をおろしていただけていたのなら、こんな嬉しいことはありません。
Yさん、願いに協力して下さった臨床宗教師の枡野様、どうもありがとうございました!