軟骨肉腫によって、左の中足骨(足の甲)から末端を切断した金氏(かねうじ)知江子さん(51)。「義足になってもダンスを踊りたい!」との願いから「CaNoW」の企画に応募し、世界的な義足ダンサーの大前光市さんと夢を叶えました。その際、使用したのはダンス専用にあつらえた義足です。今回は、ダンス用義足の製作にいたる舞台裏に迫ります。

2000年シドニーパラから5大会連続で帯同
金氏さんのダンス用義足を製作したのは、義肢装具士として約30年のキャリアを持つ臼井二美男さん。スポーツ義足製作の第一人者として知られます。今年開催された東京パラリンピックでは、臼井さんが製作した義足を着けた選手が数多く出場しました。過去には、2000年のシドニーパラリンピックで、臼井さんが担当した陸上の鈴木徹選手が出場しました。2004年のアテネパラリンピックからは、正式に日本代表のメカニックとして現地に同行し、今年の東京パラリンピックまで5大会連続で選手たちをサポートしています。
「生活用義足」と「ダンス用の義足」はどう違う?
臼井さんは「日常で使う生活用義足と、ダンス用の義足では違いがある」と言います。そもそも義足を作る理由は、断端(だんたん=切断した部分)を保護し、傷や痛みから守る役割があるそうです。生活用義足では見た目、生活のしやすさを重視。ダンス用義足では踊りやすさ、動きやすさを重視すると言います。
金氏さんは中足骨から末端を切断しているため、生活用義足では足首辺りでカットした「足根義足」を使用していました。肌に近い色をしており、見た目には義足を着けていることが分かりにくい特徴があります。


石膏で型取り、履き心地をチェック…ダンス用義足ができるまで
義足製作の工程は、どのように進むのでしょうか? 臼井さんに伺うと、基本的には型取り、仮義足、本義足の3工程から成るとのことでした。①型取り:金氏さんの左膝下から末端まで石膏で固めて、型を取る
②仮義足:型を元に仮義足を作成。履き心地等をチェック
③本義足:仮義足を調整し、本義足を作成
金氏さんが既に生活用義足を使いこなしていた点は、とてもポジティブな要素でした。「金氏さんは家の仕事の手伝いで、よく歩いていたようです。生活動作が安定しており、足の筋肉や断端部分がある程度成熟していたので、義足は作りやすかったです」(臼井さん)

義足ダンサー大前さんからの提案で、急きょ、路線変更!
本義足が完成に近づいた頃、金氏さんは世界的な義足ダンサーの大前光市さんとオンラインによるレッスンを開始しました(前回の記事参照)。大前さんは、金氏さんの足の動きや身体のバランスを確認し、ある提案を口にしました。「金氏さんには、膝下までの義足は必要ない。足首辺りでカットしてもらっても大丈夫」

ダンス用義足の色は、金氏さんが好きな赤に決定。
金氏さんは「義足を隠すのではなく目立たせたい。私には障害があるけど、それを乗り越えて踊っている姿をアピールしたい」と、自らモチベーションを高めるために色にこだわったそうです。また、素材は割れにくく、皮膚に傷がつきにくい、軟性のプラスチックを選んだそうです。
本義足が完成すると、実際に義足を着けて適合をチェック。実際に歩いたり、小走りをしたりしながら、義足が皮膚や骨にあたって痛みが出ないか、緩すぎないかなどを確認しました。


スポーツ義足には、ただ走る以上の意味がある
ところで、スポーツ義足の第一人者として活躍している臼井さんですが、なぜ特殊な義足に興味を持ったのでしょうか? きっかけは、アメリカの義肢製作所を見学させてもらったときのこと。そこで、カーボン(板)を使ったスポーツ義足を初めて目にしたそうです。「そのスポーツ義足を使ってテニスやランニングを楽しむ人がいると聞き、大変衝撃を受けました。当時の日本は、義足でスポーツをする発想がほぼなかった時代。義足は木が主流で、固くてたわみがなく、スポーツには適していませんでした」(臼井さん)
帰国した臼井さんは、早速スポーツ義足の研究と開発をスタート。試行錯誤を繰り返し、最初に臼井さんのスポーツ義足をはいたのは、ある少女でした。
「その少女は『15年も走っていなかったのに走れた…!』と、大粒の涙を流して喜びました。その姿を見て、スポーツ義足は、ただ走ること以上の意味があるかもしれないとは実感したのです。スポーツをすることで、自立心が芽生えて前向きになれる。人が変わったように生き生きとする。これは続ける価値があると感じました」(臼井さん)
東京パラリンピックで聖火ランナーを務めて

臼井さんは言います。
「障害のある人は、様々な苦悩と戦って来ています。その人たちが、たとえばスポーツによって自律性や主体性、そして協調性を持ちながら表に出ていくと、全く人が変わっていくんですよ。僕は、そんな人たちと一緒に変化を感じたときに、義肢装具士として幸せを感じます。
今回の金氏さんも同じです。勇気を持ってダンスの企画に応募しました。自ら意思決定をし、外の世界に出てきたんです。これはとても大きな変化です。今後、チャンスがあれば仲間とリサイタルをやってみるとか、楽しみは広がりそうですね」
義足は、失った下肢の役割を果たすだけではなく、使う人の内面までも鼓舞する――。今回、臼井さんが作った「赤い義足」によって、金氏さんは大きな一歩を踏み出したのではないでしょうか。
【プロフィール】
臼井 二美男(うすい・ふみお)先生
義肢装具士
1984年から公益財団法人鉄道弘済会「義肢装具サポートセンター」で義足を作りに携わる。1989年よりスポーツ義足を製作。1991年に切断障害者の陸上クラブ「スタートラインTokyo」を創設。2000年のシドニー大会より、パラリンピックの日本代表選手のメカニックとして同行。2020東京パラリンピックでは聖火ランナーも務めた。第24回毎日スポーツ人賞文化賞、第51回吉川英治文化賞、2020年には現代の名工を受賞。
臼井 二美男(うすい・ふみお)先生
義肢装具士
1984年から公益財団法人鉄道弘済会「義肢装具サポートセンター」で義足を作りに携わる。1989年よりスポーツ義足を製作。1991年に切断障害者の陸上クラブ「スタートラインTokyo」を創設。2000年のシドニー大会より、パラリンピックの日本代表選手のメカニックとして同行。2020東京パラリンピックでは聖火ランナーも務めた。第24回毎日スポーツ人賞文化賞、第51回吉川英治文化賞、2020年には現代の名工を受賞。
※CaNoWとは、病気や障がいを理由にかなえられなかった「やりたいこと」の実現をサポートするプロジェクトで、企業やその従業員の寄付やサポートで患者さんの願いを叶えていきます。詳細はCaNoW公式ホームページをご覧ください。
このプロジェクトには、CaNoWの理念に共感したノバルティス ファーマ(株)の従業員が寄付しています。
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