クルーズ客船「guntû」とは、「せとうちの海に浮かぶ、ちいさな宿」をキャッチフレーズに2017年にデビューしたクルーズ客船。全19の客室はすべて海面を間近に望むスイートルーム。瀬戸内の季節食材を贅沢に使用したお食事や、檜の風呂などを愉しみながら、ゆったりとした時間を過ごすことができます。
約700もの島々を縫うような航路で、ゆっくりと移り変わる瀬戸内海の風景を眺められるguntûのクルーズは、広島県で生まれ育った優子さん親子にぴったりです。




山根様「1か月のうち、1週間は抗がん剤。3週間は休薬というスケジュールで治療をしていますが、やっぱり抗がん剤を使用した直後は味覚が鈍くなってしまうんです…今回の旅は治療の合間で、味覚も問題ありません。最高の味を楽しめて本当に幸せです。」

ここで、山根様がポツリと「レンコンのはさみ揚げが食べたいねぇ」と。優子様も「お母さん、よく作ってくれた。美味しかったんよねぇ、お母さんの、れんこんのはさみ揚げ…」。お二人の会話を聞いたguntûシェフ。「少々お時間はかかりますが…」と特製れんこんのはさみ揚げを用意してくれました。これにはお二人も大感激。「伊勢海老を使っとるって、やっぱり美味しいねぇ」「懐かしいねぇ」と顔を見合わせて思い出のメニューを堪能しました。




「小さいころには(母が仕事をしていて)寂しくて、泣いたこともあったね」

「夜に仕事に出るときに大泣きしてね…あの時は後ろ髪が引かれる思いだった」
真摯に子育てに向き合いながらも、小児科医としての仕事も忙しく子どもたちに寂しい思いをさせてしまった時期を振り返る山根様。そして当時のことを思い出し、涙がこぼれてしまう優子様。
一時は「お母さんみたいに忙しいのはいや、医師にはならない」と考えていたという彼女も、現在は東京でしっかり働くキャリアウーマン。幼き日の寂しさを乗り越えた現在の彼女にとって、働く母の姿は“仕事も、家庭も、頑張ればできる、諦めなくていい。”という理想のロールモデル。仕事やプライベートで辛いことがあったときも、凛として働くかっこいい母の存在が心の支えになっていると言います。

「昔、母の職場へ遊びに行ったとき、自分と同い年くらいのお子さんやそのご家族の方々と関わる母を見て。本当に信頼されているのが分かったし、私たちのことも、仕事もすごく大切にしていることが伝わってきたんです。
小さなころは寂しかったし、余裕がない生活はイヤ…と反発した時期もあったけれど、仕事も家庭も一生懸命でみんなに信頼されて。ひとつひとつを真面目にやった結果、大きな仕事を任されるようになっていった母は私の憧れ。「いつかは家庭をもってしっかり両立したい」とポジティブに考えられるのも母のおかげだと思っています。」

「嬉しいですね。病気になったときに、何より心配だったのは子どもたちのこと。けれど、それぞれがきちんと仕事をもって、自立している、家庭の中での私の役割は果たせたんだな…」

小さいころは子どもが三人いる中、家事に仕事に本当に大変そうで、あたしも三人兄弟の真ん中だったのであまり構ってもらえずすねていた時期もありました。
寂しさを感じながらも、それでも小児科医として沢山の子どもたちとそのご家族のために一生懸命働く姿を見ていつの日か私もお母さんのように人のために何かできることがしたいと思うようになりました。
お母さんが、がんなったときは、いままで無理させてきたしわ寄せが来たんじゃないかとか、私たちのせいなんじゃないかと落ち込むこともあったけど、病気になってからも辛い状況でも、前向きに今を楽しみ、希望をもって生きているお母さんは、とても素敵だなと思います。
仕事やプライベートで辛いこと、しんどいこともあるけど、お母さんが話を聞いてくれるからいつも頑張れるよ。どうか身体を大切に、お母さんがしんどい時は私にも話を聞かせてね。いつもありがとう”

「うん…生きるってことは死に向かったときに最後まで生き方を貫くことだなって思って、子どもがいるから最後まで頑張ろうって思えるので、ありがたいですね。本当に、最後の最後まで自分で凛として生きていきたいと思っています。子どもたちのおかげです。」
母を思う優子様のメッセージに思わず涙がにじむ山根様。互いに「本当に、ありがとう」と感謝の気持ちを伝え合いながらギュッと手をつなぎ、ふたりの思い出、そして未来に思いを馳せているようでした。
2泊3日の航路を終えて…快適な海の旅をサポートしてくれたクルーの皆さまともここでお別れです。「ありがとうございました!」の言葉とともに「次はお父さんと来たいね」と目を輝かせる山根様に、優子様は「まだまだ頑張らんといかんね!」とエールを贈りました。

