病気や障がいのある子どもたちを支援している特定非営利活動法人AYAは、2025年3月、CaNoWとのコラボレーション企画「AYAインクルーシブ 音楽フェスティバル in 横浜」を開催。脳腫瘍の治療の合併症と闘う音大生・倉本知眞さん(21歳)のピアノ独奏や、プロのアンサンブルの演奏を多くの方が楽しみました。このイベントの実現には、AYAの代表で医師の中川悠輝先生(写真)の存在があります。今回は中川先生がAYAを立ち上げた理由や、医師としての素顔に迫ります。(インタビュー後編)
■ 寝たきりの女の子が直面していた問題、それは……
───中川先生が医師を目指したきっかけを教えてください。
きっかけは、「あやこちゃん」という名前の幼なじみの妹です。彼女は生まれてすぐはしかにかかり、9 歳ではしかが原因で起こる亜急性硬化性全脳炎という病気を発症しました。治療法が見つかっていない指定難病です。寝たきりでの闘病生活を10年間ほど送ったのち亡くなりました。幼なじみのお母さんから闘病や介護の苦労を聞いたことで、医師になろうと決意し、京都大学医学部に進学しました。
───寝たきりの闘病生活を長期に続けるのは、患者さん本人もご家族も大変です。
そうですね。幼なじみのお母さんからは、直面していた困難について聞きました。あやちゃんが遊びに行きたいと言っても、外に連れ出すことが難しかったそうです。
どんな交通機関を利用すればよいのか、途中で体調が悪化したら医療機関に駆け込めるのか、街にバリアフリーのトイレはあるのか、映画やコンサートなどを楽しみたくてもストレッチャーで鑑賞できる席があるのか、仮に席があったとしても、まわりに迷惑をかけてしまうのではないか……。問題が山積みで、それら全てをご家族で乗りきるのは無理だったというのです。
人生これからの子どもが、病気や障がいを理由にやりたいことを諦めなければならないのは理不尽だと思いました。もちろん本人も親もつらい。医師として、あやちゃんと同様の状況に置かれた患者さんに多く接するうちに、「これは解決に向けて取り組んだ方が良い社会課題かもしれない」と考えるようになりました。
■ 「何がしたいの?」と問われ、AYAの立ち上げを決意
───医師として経験を積むことで、あやこさんが直面した現状に改めて問題意識を抱いたのですね。
はい、でもAYAを立ち上げるまでにはまだ紆余曲折があるんですよ。勤務医からフリーランスの医師に転職した頃、スポーツドクターとして、バスケットボールチームの海外遠征に同行する機会がありました。当時はコロナ禍でしたから、海外に行くと、帰国時に3週間の隔離期間が発生するため普通の勤務医には難しい。そこで、フリーランスの私に白羽の矢が立ったんです。
遠征中、知り合ったトレーナーに、「中川さん、別にスポーツドクターをやりたいわけじゃないでしょ? 正直何がしたいのですか」と聞かれました。その瞬間、「じつは、病気や障がいがある子どもたちに何かしたいんです」との言葉が自然と口から出てきました。その時、「ああ、自分はやっぱりこれがやりたいのだ」という思いを自覚しましたね。幼なじみに決意を伝え、帰国して間もない2022年にAYAの活動を始めました。
現在はクリニックで院長を務める傍ら、それ以外の時間を使ってAYAの活動に力を入れています。
■ 普通なら味わえないような感動が何度も訪れる
───忙しい毎日ですが、何がAYAの活動を続ける原動力となっているのでしょうか。
イベントに参加してくれた子どもやご家族が喜んでくれることです。楽しんで過ごしている姿を見ると、「またがんばろう」という気持ちがわきます。
今回、CaNoWとのコラボレーションで開催した「 AYAインクルーシブ 音楽フェスティバル in 横浜」でも、倉本知眞君とお母さんがとてもうれしそうにしていましたね。会場の子どもたちや、そのご家族の笑顔からも力をもらいました。
それから、AYAの活動を通して色んな人たちと知り合えるのも私の原動力です。例えばディズニー映画を上映するために、ウォルト・ディズニー・ジャパンと連携したり、東北楽天ゴールデンイーグルスの協力でプロ野球観戦イベントを実施したことをきっかけに、他の複数の球団からもイベントのオファーをいただいたりするんですよ。臨床医の仕事とは違った出会いがあり、私自身の世界も広がっています。
震えるほど感動する瞬間って、普通に生きていたらそんなにたくさんはないですよね。でもAYAの活動では、そうした瞬間が何度も訪れ、心が満たされるんです。そう考えると、AYAは子どもたちのためと言っていますが、じつは自分のためでもあるのです。