本記事は、希少疾患である「視神経脊髄炎」と「膠原病」を抱えながら、前向きに日々を歩む岡本さんの体験談を、その心に寄り添いながらお届けします。孤独な闘いを経て、岡本さんが見出した「その先」とは何でしょうか。

お名前:岡本 愛さん
年 齢:50代
疾患名:視神経脊髄炎(NMOSD)
診断時の年齢/期間:2020年
現在の生活状況:予定のあと数日は休息をとり、バランスをとりながら生活している
1. 病気の始まりと診断まで:孤独な闘い
岡本さんの体調の異変は2018年頃、耳の後ろの激しい痒みから始まりました。最初に訪れた皮膚科で「帯状疱疹ではないか」と言われましたが、症状は一向に改善しませんでした。
ここから、出口の見えない孤独な闘いが始まります。皮膚科では「もう見れません」と見放され、どの科に相談していいのか分からず、かかっていた内科や耳鼻科に聞いても「どこに行けばいいんだろうね」と答えの出ない日々でした。
総合病院では、整形外科に行けば「皮膚科だ」と、皮膚科に行けば「皮膚の病気じゃない、整形外科だ」と、診療科間を行ったり来たりする日々。 医師でさえもなかなか診断がつけられないという、希少疾患特有の「孤独な闘い」でした。
絶望の中で、総合病院の皮膚科の先生に泣きながら頼み込み、やっと皮膚科で可能な範囲の検査をしてもらいます。そこで「膠原病」という診断を受け、同じ病院の膠原病科に移りましたが、常駐の医師がいないことから入院に備えられるように転院を勧められました。
その後、膠原病科の常駐医師がいる病院へ転院すると「シェーグレン症候群」と診断され、医師からは「膠原病科の中では良く知られた病気で、私が診ている患者も大勢いる。一生付き合っていくしかない」と、配慮のない言葉に岡本さんは苦しみます。
全身の痺れや痛みに苦しみ、薬の副作用にも耐える中、症状は進行し排便排尿障害もあらわれ始めます。 そして2020年初め、激しい下半身の脱力が生じました。再度診察を受けたところ、脊髄炎を起こしていることが判明し、緊急入院。
入院から約2週間後、突然、医師たちから「視神経脊髄炎」という難病の診断を告げられたのです。
2. 「患者」という名を受け入れるまでの葛藤
膠原病だと知らされた瞬間は、むしろ「これで何か手が打てるはずだ」という安堵の気持ちが大きかったといいます。原因が分からなかった状態から抜け出せたことで、希望が見えたのです。
しかし、その後に受けた検査で判明した「視神経脊髄炎」という難病を告げられたときは、「なんで今更?」という戸惑いと、治らない難病であるという事実へのショックが岡本さんを襲いました。
さらに、当初疑いもしていなかった病名を急に告げられた驚きとともに、どうして初めからその可能性を探れなかったのだろうと、医師が1つ1つ順番に検査をしながら原因を探っていくことは理解しながらも、やるせない怒りに変わっていきました。
助ける側から、助けられる側へ
病気になる前、岡本さんはボランティア活動などを行い、無意識のうちに自分を「助ける側」だと思っていたといいます。

「助けられる側になった時、私はすごく苦しみました。人に迷惑をかけている、社会の足手まといになってしまったと思い込んでいたんです。自分にはもう価値がない、欠陥品になってしまったと…」
この苦しみから抜け出すのは簡単ではありませんでした。自分でできる範囲を超えて行動を試み、結果的にかえって迷惑をかけてしまう。日常生活を過ごす中で何度もトライ&エラーを繰り返したといいます。、岡本さんはようやく「できないことはできないから、助けてもらおう」と、手を借りることを受け入れられるようになったのです。
3. 病気と共に生きる日常と、周りとの間に立つ「見えない壁」
診断後の岡本さんの日々には、体調の変化だけでなく、周囲との関わりの中で感じるさまざまな葛藤があります。
楽しみが絶望に変わる瞬間
活動的な気持ちが湧き、何か新しいことや楽しみを見つけたとき、それが岡本さんにとって難しさを感じる「たくさん歩かないとできないこと」だったり、突然の体調不良により、直前にキャンセルせざるを得なくなったりすると、強い無力感に襲われます。

「楽しみにしてたのに、前日に体調が悪くなってしまった時、『私、何やってんの?』って思ってしまいます」
さらに、具合が悪いなと感じて診察に行き、医師に「今日からすぐに入院ね」と告げられた時の絶望感。

「『そうじゃないんだよ。今この辛さをどうにかして、楽しみに行けるように一緒に考えてほしかったのに』と、心の中で叫んでいました」
自分の気持ちの意向と、医師の身体所見に基づく医学的意見との間に生まれる大きなギャップは、頭では理解していても岡本さんの心を深く傷つけます。
誰にも見えない「壁」―病気について知らない人が多いからこそ生まれる「見えない壁」―
岡本さんが日々の生活で感じる「見えない壁」は、疾患が知られていないからこその周囲の誤解から生まれます。
病気は治ることもあれば、寛解するもの、一生付き合っていく必要があるものなど様々ですがが、生活の中では想像がつきにくいからこそ悪意のない純粋な言葉が刺さります。
親しい関係でない人が、一生付き合っていく難病と知らずに「良くなった?治った?」と毎回聞いてくる。また、倦怠感が強く全く起き上がれない日があることを説明しても、「ただの疲れなんだよね?」「私も良くあるよ。誰にでもあるからね。」といった言葉で返されることがあります。
岡本さんは、理解してもらうことが難しいと感じたとき、相手に配慮し、あえて「熱があるんだよね」「風邪をひいちゃって」という、相手が想像しやすい言葉を選んで伝える工夫をしていますが、その言葉を返すたび、自分の気持ちを偽るような感覚にもなります。
また、入退院を繰り返すことに対して、事情をよく知らない周囲の人からは、「治ったわけではないの?」、「動いてて喋ってたのに、なんでまた入院なの?」という疑問をいだかれたり、「そんなに入退院を繰り返したら死ぬんじゃないか」と誤解をされることも多々あります。

「自分も病気になるまでは、入退院を繰り返す病気があること、入院しても症状が緩和するだけで完全に治らない病気があることを知りませんでした。
だからこそ、周りの人が理解しづらいことも理解できます。ただ、治らない病気があること、症状と一生付き合っていく必要があること、入退院を繰り返す必要がある病気や症状があることに苦しんでいる人たちがいるんだということを、もっと多くの人に知ってもらえる機会があればと願っています」
4. 未来へ繋ぐメッセージ:終わらない人生のその先へ
過去の自分と、今苦しむあなたへ
岡本さんは、過去のご自身の経験から、診断を受けて「人生が終わってしまった」と感じている今まさに悩んでいる、孤独に感じている当事者の方々、そして病気になる前の自分へ、力強いメッセージを送ります。

「終わってないよ、終わりじゃないよ」
「終わりだと思ったその先に、きっと道があるし、私にはその先の世界があった。その先を一緒に見ようよ。」
そして、「自分を大切にしてほしい」と強くエールを送ります。

「やりたいことはやればいいし、やりたくないことはやらなくていいんだよ。治療などで本当に嫌で泣きたくなるくらい辛いときは、「嫌だ」って言ってもいい。」

「ちょっと外に出てみてもいいかなと思ったら、自分が安心できる人と話そう。 外に出れば、周囲の人と関われば傷つくかもしれない。 でも、そしたらまた戻ればいい。これを繰り返していこう。 そうしたらきっと、終わったと思った先の世界が見えてくるから。」
過去の自分と、今健康に生きている方へ
岡本さんは、過去の自分が持っていた病気についての無知からくる悪意のない無神経さに後悔を感じています。

「きっと今元気な人たちが、自分の身に突然こういうことが降りかかったら、私みたいに過去の自分を後悔すると思うんです。あぁ、なんて無神経で発言に無頓着だったんだろう、なんて狭い世界で生きてきたんだろうって」
病気の知識や当事者の葛藤を知らないからこそ、励ましの意味を込めて発した一言が相手にとって棘になることも…。 記事をきっかけに、すべての相手へのリスペクトと想像力を少しでも持っていただく機会になればと岡本さんは願います。
だからこそ、過去の自分へ伝えたいメッセージは、今の健常者の方々へ向けた温かい呼びかけでもあります。

「助けてもらうことは、お荷物でも悪でもない。あなたの価値が揺らぐわけじゃないし、あなたは何も変わらない。すべての人がお互い様で生きているから、周りの手を借りてもいいんだよ。そして、今元気に過ごしている人もいつかの自分が辛くならないように、今のうちに『無神経さ』に気づいてくれるといいよね」
岡本さんの言葉は、「病気」という一側面だけではなく、一人の人間としての尊厳、そして人と人との温かい関わり合いの重要性を私たちに気づかせてくれました。