「ユニバーサルツーリズム」という言葉をご存知でしょうか?ユニバーサルツーリズムとは、高齢や障がい等の有無にかかわらず、誰もが気兼ねなく参加できる旅行を実現しようと、観光庁が推進する事業のこと。長野県では、その豊かな自然環境を活かし、バリアフリーではないバリアフルな環境を楽しむユニバーサルフィールドを推進しています。この活動の一翼を担っているのが、合同会社souの代表、中岡亜紀さん。日本航空の客室乗務員として活躍していた25歳のときに、遠位性ミオパチー※を発症。闘病生活をつづけるなかで出会った、ある車椅子の存在が、彼女の現在へとつながっています。
※指先や足先など、体幹から離れた部位の筋肉が萎縮していく病気で、筋ジストロフィーの一種。難病に指定されている希少疾患で、現時点で根本的な治療法は見つかっていない。
夢叶え客室乗務員に、体力勝負な仕事で感じた体の異変
───ご病気について教えていただけますか?
遠位型ミオパチーです。症状が出始めたのは、客室乗務員として働き始めたころ。体力勝負の仕事でしたので、単純に歩くのがしんどい、手すりがないと階段に登りにくい、指先に力が入らない、ちょっと歩いただけで滝のような汗が出る…というようなところから始まり、25歳のときに確定診断がつきました。当時は、幼いころからの夢だった国際線への搭乗も始まったところ。この時点では日常生活には支障はなくて…けれど体力勝負の仕事を問題なく遂行できるか、というとギリギリではありました。「なんで…」という思いはありましたが、体力面を考慮すると、もう仕事を続けるのは難しいということを、納得せざるを得なかったのです。
───確定診断がついてからはどうされたのですか?
約3年間は休職という形を取り、ちょっとでも進行が抑えられたらいいなという思いで、トレーニングジムなどで少しずつ体を動かしていました。この3年間が…どんなに努力しても進行を止めることはできなくて、当たり前にできていたことがどんどんできなくなって。普通に歩けていたのが、杖に頼るようになって、車椅子になって…という過程の中で、できないことが増えていくことに少しずつ慣れていく、慣れていくしかないという現実にあがききった3年間でした。この3年間が自分のなかでいちばん辛かったですね。失意の底から「ユニバーサルフィールド」へ向かった理由
───そこから、現在のユニバーサルフィールドの推進活動へ至った経緯は?
京都の実家に帰って1年ほど経過したころ、患者会の活動を始め、そのなかのご縁で、塾講師として子どもたちに英語を教えることになりました。それであるとき子どもたちに「あきちゃん、一緒に山に行ってキャンプしない?」って、誘われたんです。とても嬉しかった半面、当時はすでに車椅子を使用していたので…迷惑をかけたくなくて一度は断わりました。そうしたら「行きたくないの?」って…これまでに経験のない感情が全身を駆け巡ったことを覚えています。それで、岐阜県木祖村にある立ヶ峰でのキャンプにチャレンジすることを決めたんです。当然、山にはバリアフリーの設備などありませんし、私自身、登山経験も装備もありません。それでも、テントで一晩をすごした翌朝、子どもたちと一緒に見た朝日と、澄んだ空気…このときの情景が、私の人生を大きく変えてくれました。

自由への選択肢、水陸両用車いす「HIPPOcamp」

もちろん、安全性でも高い評価を得ており、医薬品や医療機器の安全性と有効性を保証するアメリカの国家規格FDAや、EU加盟国のすべての安全基準を満たす製品につけられるCE、マークを取得。登山だけでなく、砂浜や海の中でも遊べ、雪道も軽々走破できるのだとか。
HIPPOcampで富士登頂に成功、広がる可能性!
───このHIPPOcampで再び富士登頂に挑戦したのですね。
はい、富士登頂では縁あって登山家の三浦雄一郎さん、三浦豪太さん親子の協力を得ることができ、登山への知識を補っていただきました。たとえば、HIPPOcampであっても、富士山のように登頂者が多く、階段のある登山道では難しいということを教わって。下山道や、ブル道という山小屋に物資を運ぶ道を使わせていただけることになりました。このほかにも、子どもたちや応援して下さる企業の方など、総勢50名ほどのチームで富士登山に再チャレンジし、目標を叶えることができました。富士山という日本一の山に登ることができたんだから、これさえあればどこにでも行ける!これさえあれば、たいていの人は無理なく車椅子に座っていられるし、介助者の負担も少なくて済む。障がいを持つ方にとっても、介助者にとっても、新たな選択肢を生み出せるのではないかと思ったんです。


障がいのある方が、何かをしたいと願ったときに、そこに「できる」という選択肢があることが重要ではないでしょうか。私は無ければその選択肢をどんどん作りたい。じつは富士山の登頂にチャレンジときには「なんでそこまでして登るんだ」「無いものねだりにもほどがある」と言われたこともあります。けれど、自分自身が登りたいからというだけでなく「車椅子でも富士山に登れるんだ」という可能性、選択肢を作りたかった。道具と、人の手と、アイディアがあれば、もっともっと世界を広げていくことができます。
自然を楽しむためには、バリアフリーではいけない。自然はありのままだから楽しいのであって、バリアフリーにしてはいけないんです。そのバリアフルな環境を、とことん楽しむ。これからもそんな選択肢を増やしていきたいと考えています。

※患者支援プロジェクトCaNoWとは
人生100年時代、2025年には全人口の約18%にあたる2179万人が後期高齢者に。さらに医療の発達により、さまざまな疾患を持ちながらも、その病と共生する人々が年々増加しています。
「CaNoW」は、病気や加齢などを理由に叶えられなかった「やりたいこと」の実現をサポート。これまでにも先行モニター企画として、「大好きなサッカーチームをスタジアムで応援したい」「病に倒れてから一度も行けていない職場へ、もう一度行きたい」「生まれ育った土地をもう一度観に行きたい 」などの願いを叶えてきました。
詳細はCaNoW公式ホームページをご覧ください。
人生100年時代、2025年には全人口の約18%にあたる2179万人が後期高齢者に。さらに医療の発達により、さまざまな疾患を持ちながらも、その病と共生する人々が年々増加しています。
「CaNoW」は、病気や加齢などを理由に叶えられなかった「やりたいこと」の実現をサポート。これまでにも先行モニター企画として、「大好きなサッカーチームをスタジアムで応援したい」「病に倒れてから一度も行けていない職場へ、もう一度行きたい」「生まれ育った土地をもう一度観に行きたい 」などの願いを叶えてきました。
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