夢追い退職、苦笑いされた過去も…「旅行医」が目指す医療

この記事は、2020年6月15日に、医療従事者向けWEBメディア「m3.com」内に、 「特集: 患者の願いを叶える『CaNoW』Vol. 21 夢追い退職、苦笑いされた過去も…「旅行医」が目指す医療」のタイトルで掲載されたものです。



―旅行医とはなんだろう?!内科医としての研鑽を積んできた伊藤玲哉先生。患者さんに寄り添い、退院後の生活を充実させることを見据えた活動を実現するために、一念発起し大学病院を退職。現在はご自身の目指す「旅行医」としての活動を続けながらグロービス経営大学院で経営の勉強をしています。安定した環境を離れ、旅行医になる決意をした理由とは…。お話を聞きました。

伊藤先生

【伊藤玲哉(いとう れいや)先生】
1989年生まれ、東京都出身。昭和大学医学部卒業。グロービス経営学大学院在学中。
経済産業省/JETRO主催、『始動 Next Innovator 2019』5期生。
東京都が主催する起業家の登竜門『TOKYO STARTUP GATEWAY2019』にて「人生最期の旅行を叶える医師のつくる旅行会社」のアイディアを発表し最優秀賞を受賞。
患者さんの退院後の人生に寄り添う日本初の「旅行医」として活動中。
麻酔科専攻医・麻酔科標榜医。日本旅行医学会・日本渡航医学会 認定医。
介護士初任者研修・ガイドヘルパー取得。

多忙な毎日のなかで気づいた「退院後の人生」の重要性

───伊藤先生のご経歴と医師を目指されたきっかけを教えてください。

昭和大学病院を卒業し、洛和会音羽病院で研修医を経て昭和大学病院の内科医として勤務しました。現在は昭和大学麻酔科専攻医、麻酔科標榜医として非常勤で勤務しながら、グロービス経営大学院に通っています。

私の実家が父や祖父から続く医者家系だったこともあり、子どもの頃から父親の往診について行くなど、医療が身近な環境にありました。医師という職業を具体的に考えるようになったのは、私が子どもころに気管支喘息を患ったのがきっかけです。

毎日のように喘息症状が起き、特に夜中の発作では、子どもながらに「このまま死んでしまうのか……」と不安にかられたことを今でも鮮明に覚えています。現在はほとんど発作も起きませんが、当時喘息の苦しみを経験したことは、医療に対する基盤にもなっています。

私が夜中に発作を起こすとすぐに父が無言で吸入器を準備してくれましてね。スーハ―、スーハ―と吸っているうちに、徐々に呼吸が楽になり落ち着いてきて……。心身が辛いときに傍にいてくれる父の“安心感”や、医療の力を身に染みて感じていたんです。

こうした経験から、患者さんに寄り添う、安心感を与えられるような 医療がしたいと思い、医師を目指すようになりました。

───実際に医療現場に出るようになって、どのように感じましたか?

とにかく毎日が忙しかったですね!1日で数十人という患者さんの診察に追われているので、1人数分程度で回していかないと間に合わない。そうなると「体調いかがですか?」といった医療的な問診が最優先で、その人の生活歴や人柄まで分かりにくい状態になってしまって。

日々業務に忙殺されていく中で、段々と「誰のための医療なのか」「このまま病院の中で内科医として仕事をすることが良いことなのか」と考えるようになったんです。
しかもこの環境のまま働き続けたら、自分が当初描いていた“患者さんに寄り添う気持ち”を忘れてしまいそうだし、さらにそれに対して何とも思わなくなってしまうのではないかという恐怖も感じました。

「旅行医」のために退職、苦笑いされても…

───そこからなぜ「旅行医」という発想に?

患者さんに、「退院したら、何をしたいですか?目標はありますか」と聞いてみると、ほとんどの方が「特にない」と仰るのです。それでも、徐々に関係を深めていくと「実は孫の結婚式に出たい」とか「家族と一緒にビールが飲みたい」「ゆっくりお風呂に入りたい」など、色々語ってくれて。

それなら、「退院後に是非…!」と声を掛けても、皆さん最初から諦めているんですよね。長い年月でかけて、ちょっとずつ自分の自信を失っていったのでしょうか。特に80代90代の方は戦争を経験していているので、我慢は美徳とか、人迷惑をかけてはいけないと考える人が多いのかもしれません。

そうして気づけば家の中に閉じこもった生活が10年、15年、長い人だと2、30年続いているんです。ぼくの年齢と同じくらいの年月を、ずっと家の中で籠った生活をするのってどんな気持ちなんだろう。自分や家族がそういった状態で過ごしたらどう思うか、考えたときに人生100年と言われている今、病院内の生活だけでなく、退院後の人生にもっと目を向ける必要があると思ったんです。継続して患者さんの思いを聞いていくうちに、その願いは広く捉えれば「旅行」にいきつくのではないかと考えました。

思い出の場所に行きたい、美味しいものが食べたい、お世話になった人に会いたい……。そんな思いを叶えられたら、前を見て進めるのでは。生きる上で希望や目標、楽しみがあれば、再び今を生きる糧になるのでは、と思ったのです。もし、自身が「旅行医」として患者さんの旅に同伴し、体調面のサポートができれば、実現の可能性がぐっと高まりますよね。私の目指す医療はそこにあります。

その人が叶えたい夢を応援してくこと、それが笑顔を取り戻し本来の自分でいられること。それが、私が願う旅行です。見て聞いて感じて食べて触って、五感を感じて、最後の瞬間まで人生を楽しんで欲しい。そんな思いで常勤の仕事を退職し「旅行医」の活動を開始しました。

───周囲の反応はいかがでしたか?

やっぱり最初から理解してもらうのは難しいですよね。退職を決意して「旅行医になります!」と職場に告げたときも、大半が苦笑いのようなリアクションでした。大丈夫かよって。

実際、「旅行医」として活動で、どうやって生計を立てていくのかはまだまだ課題です。患者さんからはお金をいただかず、自身の旅費なども自分で支払い、日々の生活費は非常勤の医師の仕事でまかなっている状況です。こうした状況をクリアするためにも現在、グロービス経営大学院で学びながら、事業のプランニングを進めています。

───そんななか、東京都が主催する起業家の登竜門『TOKYO STARTUP GATEWAY2019』において、1803件の応募の中から“最優秀賞”に選ばれたとのこと。テーマが「人生最期の旅行を叶える医師のつくる旅行会社」だった聞いています。

自分が活動をしていく上で、個人だけで進めるには限界があると感じていたんです。特に医療以外の、旅行業界や航空業界、法律に強い方など、一緒に活動してくれる仲間が欲しくて、コンテストに参加すれば仲間が出来そうだし、コンテストも一つの実績になれば、企業に対しても安心して貰えるのではと考えました。

また、安全面が確保できない状態で進めることはとても危険です。リスクが1%でもあるなら排除したいし、その1%がメディアに出たときに、「患者さんの旅行=悪いもの」として捉えらえてしまうことは回避しないといけません。そのためにもチームの力が必要だと思いました。
CaNoW_024_小池百合子東京都知事と伊藤先生
『TOKYO STARTUP GATEWAY2019』授賞式にて小池百合子東京都知事と

───実際優勝されていかがでしたか?周りの反応は変わりましたか?

そうですね。これをきっかけに本気度が周りに伝わり始めたというのでしょうか。退職時に苦笑いをしていた先生が「応援しているよ」などとコメントをくださったり、こうして取材を受ける機会をいただいたり。味方が増えてきていることを実感しています。

───今後はどのように活動を進めていきたいですか。

新型コロナウイルス感染症の影響もあり、いますぐに大きく活動を開始するのは難しいですが、焦らずに弱点をクリアして、基盤を固めていきたいです。

退院後も長く続く患者さんの人生、その思いに寄り添う日本初の「旅行医」として活動をはじめた伊藤先生。今回、患者さんの願いを叶えるプロジェクトCaNoW※と旅行医 伊藤先生のコラボレーションにより、80代の男性患者さんの「旅行の願い」を実現。その旅の様子は……次回じっくりご紹介します。

※CaNoWとは病気や加齢などを理由に叶えられなかった「やりたいこと」の実現をサポートするプロジェクト。

これまでに「大好きなサッカーチームをスタジアムで応援したい」「病に倒れてから一度も行けていない職場へ、もう一度行きたい」「生まれ育った土地をもう一度観に行きたい 」などの願いをサポートしてきました。

詳細はCaNoW公式ホームページをご覧ください。

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