「私も医師になりたい」希少がん高校生に、院長が語ったこと

この記事は、2023年9月3日に、医療従事者向けWEBメディア「m3.com」内に、
「特集: 患者の願いを叶える『CaNoW』Vol. 61 「「私も医師になりたい」希少がん高校生に、院長が語ったこと」のタイトルで掲載されたものです。

希少がんと闘うモー子さんと、オンラインで面会する喜界徳洲会病院・院長の浦元智司先生(撮影:CaNoW)

京都市在住のモー子さんは、希少がんであるユーイング肉腫と闘う18歳の高校生。自力での長距離移動に制約のある中、CaNoWあてに「祖母が生まれた喜界島(鹿児島県)を訪れたい」との願いを寄せてくださいました。
じつはモー子さんの将来の夢は医師になること。病気があっても決してあきらめず、医学部を目指し勉強に励んでいます。「将来は離島・へき地医療に携わりたい」と聞いたCaNoWスタッフは、喜界徳洲会病院・院長の浦元智司先生との面談を設定しました。その模様を、旅のレポートとともにお届けします。

専任スタッフが飛行機の乗り換えを手厚くサポート

物心がついた頃から、「医師になりたい」という気持ちを抱いていたモー子さん。自宅の前で、おじいさんが倒れていたのを見て救急車を呼んだ経験から、「もし自分がお医者さんだったら、もっとできることがあるかもしれない」と、具体的に医師を目指すようになったと言います。

そのモー子さんの左足脛にユーイング肉腫が見つかったのは、今から2年前のこと。処理骨移植などの治療を受け、一時は寛解しますが、その後も再発や転移を繰り返し、今年の春には全身の骨と脳への転移が認められました。現在は分子標的薬による治療を行っています。

CaNoWスタッフは、2泊3日でモー子さんご家族3人が喜界島を訪問するプランを作成しました。

喜界島へは、伊丹空港、鹿児島空港、喜界空港を経由する必要があります。移動には片松葉か車椅子が欠かせず、強い痛みに襲われることもあるモー子さん。各航空会社や空港が連携を取りながら、手厚くサポートしてくださいました。
鹿児島空港で、喜界空港行きのプロペラ機に乗り込むモー子さん(撮影:CaNoW)
また、鹿児島空港での4時間の乗り換え待ちでは、救護室を利用させていただきました。救護室の事前手配はできませんが、この日はちょうど空室だったため利用できることに。おかげで、本来なら負担になりかねない待ち時間が、大きなベッドでくつろげる、貴重な休息時間となりました。

少人数で何でも診る。離島・へき地医療の多忙な日常

島に到着した翌日、モー子さんが心待ちにしていた喜界徳洲会病院・院長の浦元智司先生との面会が行われました。前日の移動疲れで痛みが出たことから、モー子さんは宿泊先からオンラインで参加することに。病院を訪問したお母さんが、モー子さんに代わり質問する形でスタートしました。
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喜界徳洲会病院は、島で唯一の病院。(撮影:CaNoW)
元々は神戸の病院で働いていたという浦元先生。徳之島(鹿児島県)の病院をへて、9年前からここで勤務しています。そんな浦元先生の口からは、一般的な病院の常識が通用しない、離島・へき地医療の実情が次々と語られました。

自身の専門は脳神経外科ですが、医師数が少ないため、ここでは総合医療を提供していること。島で唯一の医療機関のため、1日約200人もの外来患者を、研修医を含む3~4人程で診なければならないこと。外来にくわえ、訪問診療、救急の受け入れ、学校医まで担当していること。まさに八面六臂の活躍です。
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モー子さんに代わって質問するお母さん(右)と、浦元先生。モー子さんは、中央に置かれたスマートフォンからオンライン参加。(撮影:CaNoW)
「ドラマとかでは、患者さん一人ひとりを、時間をかけて診るイメージがあったのですが」と、思わず口にするモー子さん。想像以上の多忙ぶりに、診療時間が十分取れないのではと感じたようです。すると、「8年もここにいると、カルテを見なくても、その人が何の病気だったかすぐ思い出せるので話は早いですね」と浦元先生。患者と顔の見える関係だからこそ、診療を効率よくこなせるという良い面も明らかになりました。

臨場感あふれる話に、すっかり引き込まれた様子のモー子さん。浦元先生のパワフルな語り口にふれ、元気がわいてきたようで、スマホ越しにどんどん質問を繰り出します。
島の子どもたちが、私のようにがんに罹患した場合、島で治療を受けるのは困難なのでしょうか?
都会で最先端の治療を受けてきたモー子さん、闘病中の島の子どもたちのことが気になるようです。
それに対して浦元先生は、診断や初期の治療方針を立てるのは、高度な検査機器の揃う本土の大学病院などで行ってもらい、それにもとづく化学療法などはここでしていると説明しました。大病院との連携により、島民に手厚い医療を提供していることがわかりました。

「まずは専門性を身につけて」とアドバイス

他にも、「救急で運ばれてくるのは、どんな患者さんが多いですか?」「先生が体を壊すことはないですか?」など、質問が尽きないモー子さん。一つひとつに答えながら、コロナ禍での苦労、患者さんの方言が難しいことなど、話題は縦横無尽に広がります。「医療のないところに人は住めない。だから自分はこの島を離れられない」との浦元先生の言葉からは、離島・へき地医療従事者としての責任感が強く感じられました。

島の医療に興味津々のモー子さんに、浦元先生は具体的なアドバイスを送り背中を押してくれました。
「医師になったら、僕のように何か専門性を身につけてから、一つ自信のある科を持って離島・へき地を動くのが一番」

モー子さんが「専門以外の診療科の勉強は自分でしたんですか?」とたずねると、「忙しくても合間を見て、自分で勉強した」との答えが返ってきました。これにはモー子さん、「カッコいい」と感心しきり。「その気になれば学べる」という浦元先生の姿勢は、闘病しながら受験に挑むモー子さんにとって、大きな励みになったことでしょう。

体調面の不安から、はじめは音声だけでの参加を予定していたモー子さんですが、途中からはカメラをオンにし、キラキラした目で質問しました。憧れの医師と語り合った時間は、将来の夢に向けて頑張る大きな力となったのではないでしょうか。改めて、医師という職業の持つ力の大きさが感じられる場面でもありました。

パワーと祈りを届けたい。島民による一夜限りのライブを開催

インタビュー終了後、この旅を機に15年ぶりに再会した親戚の家に招待されたモー子さん。用意されていたのは、テーブルに乗りきらないほどの島料理の数々です。丹精込めて作られたご馳走からは、あたたかいもてなしの気持ちがあふれていました。  
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歓迎はさらに続きます。喜界島の皆さんが、モー子さんのためだけの、一晩限りの野外ライブを開催してくれたのです。ギターを手に、伸びやかな歌声を響かせるシンガーソングライター。三線の音色とともに喜界島島唄を披露する唄者。自然に溶け込むように優雅に舞うフラダンサー。伝統芸能であるエイサーも披露されました。

ライブを呼びかけ、場所を提供し、ステージを設営してくれたのもすべて島の方々。「モー子さんにパワーと祈りを届けたい!」と、無償での出演を快諾した演者たちによる、島芸能の熱いステージが繰り広げられました。  
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憧れの職業である医師や、親戚や島の人たちとも絆を深められた今回の旅。困難を乗り越え素晴らしい出会いを手にしたモー子さんからは、「闘病中でも夢をあきらめる必要はない」と教えられます。モー子さんのこの旅は、闘病中の子どもたちの背中を強く押してくれるでしょう。

※モー子さんと母・ココすけさんのブログはこちら
「通信制から医学部目指し、星になった娘モー子☆母、おまけの人生大奮闘日記!!」

撮影:榮 光里
文章作成:保田明恵
※CaNoWとは、エムスリー株式会社が展開する『病や障がいと共にある方』の願いをかなえるプロジェクトです。CaNoWは、病や障がいと共にある方の願いを、医療×人×ITの力で叶えていきます。詳細はCaNoW公式ホームページをご覧ください。
掲載元媒体:m3.com

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