宮城県仙台市に住む医師の平野泰三先生(43)は、CaNoWにこうしたメールを寄せられました。「ドナーになってくれた兄が移植手術後の下大静脈内血栓のために二度手術を受けました。兄とICUで再会したときは死にたいとさえ思いました…」。4年前、平野先生は実兄から生体肝移植を受けており、その際、お兄さんが深刻な合併症を起こしてしまったのです。移植をめぐり、レシピエントとドナー、家族が抱いた思いとは? その詳細を、家族に感謝を伝える食事会の様子とあわせてレポートします。
難病を患い、39歳で日常生活に支障をきたした
平野先生は医師1年目の頃、初期研修先の病院で受けた血液検査で異常が見つかり、ミトコンドリア病の一種である希少疾患であることがわかりました。難聴や糖尿病などの症状があり、インスリン治療を継続しています。
さらに30歳で病院を移る際の血液検査で、原発性硬化性胆管炎と診断されます。進行性の胆管狭窄が原因で胆汁うっ滞をきたし、肝障害を引き起こす指定難病。完治させる治療法はないといわれています。
呼吸器内科医としてキャリアを歩み、難病患者の診療や、新薬の第Ⅲ相試験などに携わってきた平野先生。しかし39歳で日常生活が送れないまでに病状が悪化します。そんな中、主治医から提案されたのが生体肝移植でした。当時の心境は…。
「ドナーになってほしいと、自分からお願いすることができませんでした」
平野先生はこう振り返ります。難病患者を診療していた経験から、自らも寿命を受け入れる考えがあったとのこと。そしてドナーの体への負担を考えて、移植に踏み出す気持ちにはなれなかったそうです。
しかし、実のお兄さんからドナーになるとの申し出が。
「最後の選択肢だったと思うので、じゃあやりますかと。そこまで深く考えずに手を挙げました」(お兄さん)
移植を受けるか否か、患者として揺れる思い
肝臓の一部を摘出して移植する大手術。国内での手術実績は増えてきているとはいえ、合併症の心配は伴います。義姉は当初、お兄さんのリスクを恐れて前向きにはなれなかったそうです。それでも、最終的には弟を思うお兄さんの決断を受け入れてくれました。
平野先生のお母さんは、「助かってほしい」と移植の可能性を最後まであきらめませんでした。実は、平野先生とお兄さんの間にはもう一人の兄弟がいましたが、肝臓がんのため42歳の若さで他界。そのつらい経験から、お母さんは「助かる方法があるなら、移植をしてほしい」と平野先生に対して切実な思いを抱えていました。
移植を受けるか否か――。平野先生の気持ちは揺れていましたが、ひとまずお兄さんを含むドナー候補者に病院で検査を受けてもらいました。しかし全員不適合。そこで大学病院へセカンドオピニオンをもらいに行きました。「両親に諦めてもらうことが目的でした」と平野先生は語りますが、セカンドオピニオンの医師は「別の方法で移植可能」と判断。その大学病院で移植手術を受けることに決まりました。
仕事への影響を最小限にしたいお兄さんの希望で、手術の日程は5月の大型連休に組まれました。平野先生もご家族も祈るような気持ちで当日を迎えました。
ドナーである実兄が下大静脈内血栓を起こし、危険な状態に
長時間におよぶ移植手術が終わった後、緊急事態が発生。ドナーになったお兄さんが術後に下大静脈の血栓を起こし、さらに二度の手術を受ける深刻な事態に陥ったのです。
「移植を受けるときは正常性バイアスがかかり、合併症が起こるなど想像もしていませんでした。普通に手術が終わると考えていたんです」(平野先生)
数日をへてお兄さんは命の危機を脱したものの、ステント治療やリハビリ、社会復帰の遅れなどが降りかかります。平野先生は「入院中は自分のほうが回復が早くて、兄のほうが大変だったのが申し訳ない気持ちで辛かった。自分は生きていていいのか?」と思いつめます。
しかし、ここでもお兄さんの器の大きさに助けられました。
「兄は一番つらい時でさえ、絶対僕にひどいことは言わず、肝臓も『もう俺があげたんだから、気にすることはないんだよ』と言ってくれました」(平野先生)
現在、お兄さんはステント治療も終え、数カ月のリハビリを経て元のADLに回復を果たしました。
一方の平野先生は、術後胆管炎などによりptbd(経皮経肝肝道ドレナージ術)の治療を3年にわたって続けました。そのため術後疼痛がつらく、また運動制限から重度のサルコペニアにもなっていました。いったんは通常の日常生活が送れるまで回復しましたが、再び体調が悪くなっているそうです。仕事は週4日、非常勤の緩和ケア医として働いています。
肝移植ができたことに感謝しながらも、「兄と家族にもつらい思いをさせた」と自責の念を抱えてきた平野先生。体調が落ち着いた今、あらためて家族に感謝を伝える場がほしいと考えました。そこで思い立ったのが、CaNoWへの相談だったそうです。
東京ドームホテルの43階で、感謝を伝える
CaNoWでは、家族を招いての食事会を企画しました。東京ドームホテル(東京都文京区)の43階に位置する、眺望自慢のイタリアンレストランの個室を予約。お兄さん夫婦、両親、甥、姪2人を招待し、家族水いらずでコース料理を楽しんでいただきました。
終盤、平野先生から家族にあてた手紙が読み上げられました。「親愛なる家族へ」との書き出しで始まる手紙は、便箋3枚にわたって思いがしたためられていました。
命がけでドナーとなってくれたお兄さん、ドナーに同意してくれた義姉、毎日のように面会に来てくれた甥、年齢制限から面会がかなわず、外のベンチで待っていた姪2人。そして兄弟の闘病生活で心配をかけた両親へ…。当時の状況や平野先生自身の心境、尽きせぬ感謝を伝えることができました。
合併症はレシピエント、ドナーの双方に打撃を与える
食事会のあと、CaNoWから平野先生とお兄さんにインタビュー。
平野先生は、自らが難病を患ったことで初めて感じたことや、医師としての心境の変化を語りました。
「難病治療には限界があることを患者としても実感しました。また、自分の死と向き合う中で緩和治療、穏やかな最後の迎え方や人生会議(ACP)の重要性についても考えました。今までも治療法がない難病患者様の治療や、終末期医療に従事するにあたって症状緩和の重要性は理解していましたが、更にこの気持ちは強くなりました。
今後はこの思いを大事にし、医療に従事していきたいです。医療の世界は日進月歩であり、持病の原発性硬化性胆管炎を含め多くの臨床試験が進行しています。私も臨床医・研究者として難病疾患の治療法が確立して標準療法となるのを経験しました。現在も難病治療には多くの医師や研究者が取り組んでおり、将来、一つでも多くの治療法が確立することを期待しております」(平野先生)
今改めて思うことを伺うと、このように振り返りました。
「術前に、手術の効果と合併症の説明を詳しく説明してもらいました。残念ながら、今回の移植では非常にまれな合併症のために兄は長期の入院となってしまいました。移植医療はドナーの無償の提供であり、ドナーの安全はレシピエントにとって重要なことです。医療は完璧ではないことを理解しながらも、今回の非常にまれな合併症による兄の負担は受け入れることができませんでした。ただ、今回の移植の経験を経て移植に否定的な意見を抱いたわけではありません。レシピエントとして難しい手術をしていただいたこと、ドナーの合併症に対しても真摯に治療をしていただいた医療者の皆様には最大限の感謝をしております」(平野先生)
インタビュー中、平野先生のお話をしっかりと聞いていたお兄さん。ドナーとしての経験をこう語りました。
「移植におけるドナーの判断はレシピエントの命に直結することから、ドナーや家族からも有言・無言の過剰な期待やプレッシャーがかかることがあります。ドナーも命を救いたいという強い気持ちが判断に強く影響してしまいます。移植に関して、長時間にわたり複数回の合併症を含む説明を受けました。ただし、今回のように医療者も予期しない稀な合併症が起こることもあり得ます。今回の移植を後悔しているわけではありませんが、ドナーがニュートラルに判断できるような環境配慮は必要だと思います」
臓器移植は、患者さんや家族が最後の望みを託す治療法でもあります。だからこそ、成功例だけでなくリスクも含めたインフォームドコンセントが欠かせないことを、再認識させられるお話でした。
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